名将 上田 利治さん 死去 80歳

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先ほど、このニュースが流れた。

私にとって、阪急ブレーブスの監督は上田利治さんである。

強い阪急時代の監督が上田さんであり、上田さんでなければ勝てないとさえ信じていた。

見ている限り、パリパリの関西人と考えていたのですが、出身は徳島、海南高校。学力優秀で、野球による推薦なしでも大学に入れたと言われている。

関西大学ではのちのミスター・タイガース 村山実さんとバッテリーを組んでいる。プロ入りは広島、しかし、肩を壊して現役引退、親会社の東洋工業(マツダ)への入社を希望するも、松田球団社長からの要請もあり25歳の若さでコーチ就任、以後1971年に阪急ブレーブスのヘッドコーチに34歳で就任している。若いながら指導者としての資質が認められていたのでしょう。

阪急では名将、西本幸雄のあと1974年に37歳の若さで監督に就任。1975年にリーグ優勝、初の日本一、以後4年連続でリーグ制覇、3年連続で日本一を達成している。1978年のヤクルトとの日本シリーズではヤクルト大杉の打球の判定を巡っての抗議は今でも有名である。

この年で一旦、阪急の監督を退くも、1981年に復帰、阪急がオリックスへ球団譲渡した後の1990年まで監督をされた。ちょうど、本拠地を西宮球場から、グリーンスタジアム神戸に移す年であり、愛称”ブレーブス”から一新するため、公募がされたときには上田監督の口癖である”ええで”を文字って、”オリックス えーでーず”が候補にも挙がった。阪急ブレーブスファンとしては、この名称でも親しみがあり許せた。 しかし、上田監督自身は””そんなに、ええで ばかり言っていない”とコメントしている。新聞記者が書いていたのであろう。

結果がでたこともあるが、若くして監督になり、これだけ長く愛された監督は今でも上田さんが一番です。

オリックス バッファローズが一時代を築く日を期待して、上田利治氏の功績と人望を思い、心からお悔やみ申し上げます。

ありがとうございました。

 

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